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ウィーンでつけた沢庵 [weblog]

僕が小学生だったころ

(つまり、マイケル・ジャクソンがまだアフロアメリカンだったころ)

2枚のレコードを聴き続けていました。

2枚のレコードの片面ずつに
1人のバイオリニストをフィーチャーする
すんごい代物でした。

1枚目はティボーとクライスラー。
もう1枚はエネスコとヌヴー。
こんなもの聴いて育っているんですから
環境はよかったんでしょうねえ。

頭と性格がもう少しよければ
人生も違っていただろうに。

そのころ僕が熱烈に惹かれはまっていたのが
フリッツ・クライスラーなんです。

剣道少年が宮本武蔵を敬愛するように
野球少年がベーブ・ルースを憧憬するように
物理少年がアインシュタインを思慕するように
文学少年が中原中也を口ずさむように

僕は大人になったらクライスラーになると決めていました。
車もクライスラーに乗ると決めていました。

残念ながら僕はクライスラーにはなりませんでしたし
車のクライスラーは何の関係もなくスペルも違うし
そんなお金も持たない大人になりましたが。

あるとき、モーツァルトを弾かなくてはいけなくて
演奏会に向けて練習するよう師匠に言われたわけです。
半ズボンをはいたハナタレ小僧の僕は
クライスラーの演奏をレコードから耳コピすることに決めたんです。

フレージング、歌いまわし、タイミング
ビブラート、音程、ダイナミクス

とにかく、まねをしようと努力したわけです。

1週間後、和製ハナタレ・クライスラーは
師匠の家に赴き、熱演を献上いたしました。

引き終わった後に師匠が一言

















「あのさ、君がやっているのは
ウィーンでつけた沢庵みたいだねえ。
僕が聞きたいのはさあ
京都で作ったミランジェ(ウィーン風コーヒー)なんだよねえ。
なんとかならない?」









幼心に思いましたねえ
努力しても報われないことは
あるんだなあ、って。

なんとかならない?って言われてもねえ。
ウィーンの人が沢庵を食べないとは知らなかったわけですから
そっちのほうがショックでした。

それから10年ぐらいあとにウィーンに行って
日本食屋できちっと天麩羅と沢庵を喰ってやりました。

あまり美味しくはなかったです。

ところで、僕の師匠ですが
どうやらこのハナタレはクライスラーにはまっているらしい
と感づいたようで
それ以来、なにがあっても

「クライスラーは」
「クライスラーが」

でした。

「クライスラーは毎日3時間は音階練習に明け暮れた」
「クライスラーがあまりにゆっくりと練習するので
誰も何の曲を弾いているのかわからなかった」
「クライスラーは学校の成績もよかった」
「クライスラーは好き嫌いがなかった」
「クライスラーは少年ジャンプを読まなかった」

もう少し大きくなってクライスラーの伝記を読みました。
うそばっかりでした. . . . . . .

他にも
「フランスではじゃんけんのかわりに
音階合戦をして、鬼ごっこの鬼を決める。」
とも、ご教示受けました。

フランスに何度か行って気づきました。
うそばっかりでした. . . . . . .

でも、単純で素朴で素直な少年少女を指導するには
この方法はいいですね。

「宮本武蔵はプレイステーションを毎日しなかった。」

「イチローはピーマンが好きだった。」

いいですね。

クライスラー:愛奏曲集

クライスラー:愛奏曲集

  • アーティスト: クライスラー(フリッツ), ラムソン(カール), ファリャ, コハニスキ, アルベニス, クライスラー, ドヴォルザーク, ドビュッシー, ショワズネル, ドホナーニ, ハルトマン
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
  • 発売日: 2002/07/24
  • メディア: CD


ビル・エバンス [ぱちぱち偉い音楽家のありがたい一言]

私はいつも、長い時間をかけ努力し、
特に自分を見つめ続け
ひたむきに成長してきた人たちに惹かれます。

そういう人たちががたどり着くところは
ぱっぱと最初から何でもできた人たちよりも
往々にしてもっと深く、そしてもっと美しいような気がします。

なぜこんなことを言うかといいますと
昔の私と同じように感じている若い才能がある人たちに
ぜひ知っていてもらいたいからです。

若いのに音楽をきちっと把握して
すらすらと弾いている人がいるのに
自分にはできないと思うんでしょう。

私もそうでした。
自分が何をしているのか解らなければ
何も弾けませんでした。

でも結局若いころから弾けた人たちは
最終的にはそんなに伸びませんでした。

I always like people who have developed long and hard, especially through introspection and a lot of dedication. I think what they arrive at is usually...deeper and more beautiful...than the person who seems to have that ability and fluidity from the beginning. I say this because it's a good message to give to young talents who feel as I used to. You hear musicians playing with great fluidity and complete conception early on, and you don't have that ability. I didn't. I had to know what I was doing. And yes ultimately it turned out that those people weren't able to carry their thing very far.

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まあ世の中にはビル・エバンスの音楽がなくても
生きていけるって人はいるでしょうけども
ビル・エバンスの音楽が嫌いだって言う人は
至極まれなのではないでしょうか。

- - -  彼の音楽を聴くと吐き気がするという方
     すみません。

     あなたは、少数派なんだと自覚してください。
     でも、文句は言わないでください。
     わかりましたね。

僕は彼とギル・エバンスの音楽は
本当に白人にしかできなかったのだろうと
思っています。

ギル・エバンスと名前は似てますが
こちらはカナダ人です。

即興でつむぎだす音楽に特有の常套句。
これが彼の場合、ないに等しいのです。
つまり、フレーズをつなぎあわせるバップの演奏家や
音や音列で感情を表現したフリージャズのジャズメン。
あるいはリズム軍団とベースの上で
歌いまくるヒュージョン系の面々に比べて
ビル・エバンスの場合は音楽を
そうです、音楽をどっかからもってくるんです。

不器用だったのもあるんだと思います。
コカインのせいで指がむくんでいたのもあるんだと思います。

でも理由はともあれ彼がどっかからひっぱて来た音楽は
どんなに世の中の音楽理論では成り立たないものであったときでも
常に美しいのです。
麻薬中毒のジャンキーとはとても思えないのです。

もしも世の中に神様とか仏様とかがいらっしゃったら
ビル・エバンスが生き抜いた時代に
レコード録音が存在したことを本当に感謝します。

まあ、他にも感謝すべきことはたくさんありますが。

  もし、これを読んでいる人の中でつらい状況にいる人は
  ビル・エバンスの音楽を聴いてみてください。

  もし、これを読んでいる人の中で今絶好調だという人は
  ビル・エバンスの音楽を聴いてみてください。

  もしこれを読んでいる人の中で音楽の勉強をしている人がいたら
  ビル・エバンスの言葉を信じてください。

僕が今まで音楽を続けてきた一番の理由は
とても音楽やバイオリンを弾くということが
苦手だったからだと思います。

でも、毎日とりくむべく課題があり
歩いてきた道よりも前に続いている道のほうが
明らかに長いということは
好きな音楽のことですから
うれしくてしようががありません。

自分のたどり着きたい場所への近道なんて
気にしないでください。
自分の行きたい方角に向かっていってください

まだまだビル・エバンスのような演奏はできませんが
自分ができなくってもビル・エバンスの演奏を聴くことはできますから
幸せな人生なんだと思います。


「修練をもって処理されたロマンチシズムは、
最も美しい類の美だ。」 Bill Evans (1929-1980)

Waltz for Debby

Waltz for Debby

  • アーティスト: Bill Evans
  • 出版社/メーカー: Original Jazz Classics
  • 発売日: 1990/10/17
  • メディア: CD


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バド・パウエル [weblog]

大和明先生は「ベスト・ジャズ・ベスト・アルバム」の中で

「生気を失いながらも生きていかねばならぬ侘しさであろうか。
それとも滅びつつあるなかに、微かにうごめく美なのだろうか。
淡々とした表情の中にも、晩年のパウエルだけにしか感じられぬ人生への疲れと哀歓、
それに孤独感さえ感じさせる。」  

とおっしゃています。

たしか大江健三郎御仁もパリで晩年の彼の演奏を聴いて「老いたセイウチ」と評しました。
おそらく、マイルス・デイヴィスがパリで旧友バドと再会して
あまりにも弾けなくなっているんで驚いたのと同じぐらいのときだと思います。

村上春樹先生も、暇でやることのない登場人物に
バド・パウエルの晩年の演奏で彼の左手だか右手が
段々遅れがちになることについて一考させてますね。

はたして、技術の衰えのためなのか
それとも芸術的理由によるものなのか、と。

僕にはわかりません。

アルコールや麻薬におぼれ破滅していったといえば
それまでなんですが、そこに大問題があるんです。

晩年の彼の演奏は圧倒的、肉体的、神経システム的に
ぐっとくるんです、聴いていると。
若いときの演奏とパリに引っ込んでからのと比べろって言われたら
若いときのほうが確かにうまいんです。
でも、年取ってからのほうがテンポは落ちるんですが
タイムフィーリングは落ちないんです。

なんでなんでしょう。

   あ、年取ったとは言うものの
   まだ30代ですけどね、この人の晩年は。

   いつもこの人のことを考えると
   心が落ち着かなくなりますね。


バド・パウエルは、ある日警官に頭を強く殴られまして
まあ、それからちょっとおかしくなっていくんです、神経とか頭とかが。
どうやら自分の先生的先輩のセロニアス・モンクに
警官が言いがかりをつけたらしいんですね。

んで、かばったら殴られちゃったと。

そして、電気ショックみたいな治療を受けて
ぼろぼろになったと。

天才が狂気の中を生きなければならなかった例はいくつかあるけれど
彼の場合はあまり芸術的な理由とはいえない要素もそこにあったと。

そして、その後の演奏は破滅的ではあるものの
感動する僕のような輩も少なからずいると。

聴いていると体が元気になってきて
心がすごくつらくなってくる
不思議な演奏ができたと。








彼から学べることはあまりなさそうですねえ。

   やはり無理だったか。






村上春樹先生の「ノルウェーの森」でレイコさんが

「ときどき私がジャズ・ピアノの真似事して教えてあげたりしてね。
こういうのがバド・パウエル、こういうのがセロニアス・モンクなんてね。」

とピアノ教師をしていたことのことを回想してますが











できるわけないじゃないですか
普通のピアノ教師に。

いくらレイコさんといえども。


彼の録音で僕が一番心を打たれるのは
「バド オン バッハ」
という、バッハの曲でスウィングしちゃってるやつです。

一番破壊的で、一番心に穴を開けます。

   屑みたいな二人の配下をしたがえて、
   バド・パウエルが帽子をかぶったまま、
   テーブルのあいだをのろのろ歩いてあらわれた。
   ・・・(中略)・・・バド・パウエルがピアノの前に座ったとき、
   それはまさに老いたるセイウチだった。
   寝そべっているセイウチが危険を感じて上体だけまっすぐに起した、
   という風に、かれはピアノに向っていた。

             大江健三郎 『厳粛な綱渡り』                              

ポートレイト・オブ・セロニアス+1

ポートレイト・オブ・セロニアス+1

  • アーティスト: バド・パウエル, ピエール・ミシュロット, ケニー・クラーク
  • 出版社/メーカー: ソニーミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1997/11/21
  • メディア: CD


アストル・ピアソラ [ぱちぱち偉い音楽家のありがたい一言]

俺の音楽はタンゴから派生した人気のある室内楽ってとこだ。
つまりさ、いろんなことを試してみることができたんだよ。
でもな、絶対に自分で納得したもんしかできねえな。これ結構大切なことだぜ。

Mi musica es una musica de camara, popular, derivada del tango,
en fin, hay mil vueltas que se le pueden dar...
Pero yo me conformo con hacer lo que se me da la gana,
que es muy importante.

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大学で勉強していたころ
バイオリンのクラスの教授に

「世の中には二つの種類のバイオリンリサイタルがある。
フランクのソナタを演るやつと演らないやつだ。」

と教えを受けました。

なるほど、言い得て妙なのですが
よく考えると僕はこの人生で
フランクのソナタをリサイタルで取りあげたことは
一度もありません。

世の中のもうひとつの種類のリサイタルは
ついにやらないまま人生を終えるのかもしれないです。

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ちなみに米国の友達によると最近は少し事情が違うようですね。
卒業演奏会ともなると、別の分け方があるようです。

「ピアソラの曲を演るか演らないか」

しかし、この人みたいに死んでから爆発的に売れると
本人は草葉の陰でどう思っていらっしゃるのかは判りませんが
残された子孫には悪い話ではないですねえ。

著作権の収入を考えるとですけども。

この人の場合、息子も孫も演奏家なんですけども
南米のほうでは

「まあいい音楽家だけどさ
父ちゃん(爺さん)程ではないよな」
ってまあ一般的には評されています。

確かに息子のダニエルはちょっと恥ずかしい
Piazzolla plays Piazzolla ってCDを出しているんですけどね。
ピアソラのほうとしても、一緒に録音をしたりしたみたいですけども
やめたみたいですね。

   ふと思ったんですけど
      マイルス・デイヴィス博士もやってましたねえ。
         甥っ子と。

            あそこも、すぐに首にしてましたけども。

でもあれですね。
偉大すぎる父親なんかを持つと
その後やっていくのも
普通は大変なんじゃないでしょうかねえ。

どうなんだろう。
日本の伝統芸能は
うまくやっていたみたいだけども。



あ、でも、ピアソラ御仁のお孫さんは
とてもいいドラマーだと伺ったことがありますよ。
人聞きですから、ほんとにドラマーかも知りませんけども。

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話はわあーっと変わりますが
歴史的怪物バイオリン弾きであられます
ルジェーロ・リッチ大先生に強く言い聞かせられたことがありまして
(もちろんきちっと理解できずに後で後悔しましたが)

「おまえさん、よくお聞き。
何の曲で自分の演奏家としてのキャリアを始めるか。
よーく考えるんだぞ。
俺は戦争中にパガニーニばかり弾いていたら
70過ぎた今でもパガニーニ弾け弾けって言われるんだよ。
あの時モーツァルトなんか弾いてたら、今頃楽だったのになあ。」

こう、しみじみおっしゃっていました。

そのときは、いつものように僕は馬鹿づらで

「ほほう。パガニーニで知名度は上げるべからず、と」

なんて思っていまして、まあ自分には関係のない話だと思って
ずるずるスパゲッティを食べ続けていたんです。

馬鹿ですねえ。

明日からは一生懸命モーツァルトを勉強しようと
考えていたわけです。

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それから4,5年後ですかねえ。
エクアドルでピアソラを演奏会で取り上げていたところ
あっという間に「モーツァルトも弾ける、モダンタンゴバイオリン弾き」
ということになっていました。

どこに行ってもコンサートの主催者には
「ピアソラやりますよね?」
と聞かれます。

「いや、今日は自分の曲だけでいきます。」
なんて言おうものなら
「どうしてですか?」
と汚いものでも見るように聞き返されます。

というわけで

「前半バッハ、後半ピアソラ」
「前半ベートーベン、後半ピアソラ」
「前半三好晃、後半ピアソラ」
「前半自分の曲、後半ピアソラ」

ってなっちゃうことが多かったんですけれども
いつも新聞には
「本日ピアソラの演奏会!」
と出ていました。

リッチ先生は正しかった。

この人生でフランクを弾くことはなかったけども
ピアソラを弾くことが一番多かったです。

二番目はみんなそうだと思うけども
ビバルディの四季でした。

ピアソラはどうだったんでしょうねえ。
「もうアディオス・ノニーノはいやだ!」
とか思ってたんですかねえ。

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いろんな意見がありますけども
どうも、80年代のクインテットの演奏が人気があるみたいですね。
僕は一番最後のフォーマットだったセプテットが大好きですども。

ヘラルド・ガンディーニのピアノとホセ・ブラガートのチェロ。

最高ですね。

そういえば、ブラジルのポルトアレグレに住んでいたときに
よくブラガートの書いたピアソラの編曲楽譜がありました。

どうも、あそこに彼も住んでいたらしいです。

あともう一人、ピアソラがらみの名演奏家といったら
バイオリンのアントニオ・アグリですね。

(そういえば、あの人の息子もバイオリン弾きですねえ。)

フランスでバイオリン教室を開いたそうなんですけども
「ピアソラのスタイルのバイオリン教室」
って名前だったそうです。

これも人聞きですから、ほんとにあったのかも知りませんけども。

この間、ピアソラとアグリのデュオのCD を買いました。
映画用に録音してボツになったらしいですけども。

でも最高ですねえ。

「絶対に自分で納得したもんしかできねえな。」、と。
この人たち納得しまくりの演奏をしています。

新婚旅行

新婚旅行

  • アーティスト: アストル・ピアソラ, アントニオ・アグリ
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2006/07/05
  • メディア: CD


朝のCD [weblog]

世の中いろいろなタイプの音楽家がいますが
僕は忌々しい「朝型音楽方面活動家」なんです。
朝のうちにいろいろ勉強してしまったり
音楽を聴いたりするんですが
夕飯を食べるともう何もできません。

今朝も暗いうちに起きだして
CDを聴きながら新聞を呼んでいました。

とはいうものの家族はまだ寝ていますから
ジミ・ヘンドリックスをかけるわけにはいかないのです。

小さい音で「マシンガン」をかけながら
コーヒーを飲んで日本の郵政制度を憂う人は
少ないと思います。

という訳で、Arbiterという会社から出ている
"huberman in recital"
これをかけてました。

ブロニスラフ・フーベルマンのバイオリンで
ブラームスやらシューベルトを聴きながら
格差社会について考えていました。

- - 考えましたが、よく解りませんでした。

でも、いつもフーベルマンを聴くと
自分の中がヒタヒタッと収まってきます。

正しいとか間違えてるとか
そういう理性的感情が影をひそめて
   
     さじ一杯分の純粋な想像力と
        
        意志の力の種

若い頃の自分の心の中で存在が薄くなり
眠ってしまいそうな奴らが
まだいなくなったわけではないのを
確認できるのです。

そして

「今日は非常に正しいCDの選択をした」

と悦に入りながらコーヒーを飲んでました。

いつも思うんですが
この時代の(つまり20世紀の前半の)録音には

本当にある演奏家が、その人生のある時に
ある曲を、弾いた

というノンフィクション・ドキュメントのような感慨深さがありますね。

それが録音のせいなのか
演奏のせいなのか
あるいは演奏家の人格のせいなのか
どうもはっきりしませんが。

昔の人はなぜ皆達筆なのか。
こんな感じですね。

「聖者とジプシーの二つの顔をあわせ持つ」

このように評されてきたフーベルマンですが
僕は本物の聖者にも会ったことはありませんし
ジプシーの知り合いもいませんから
これはよく解りません。

でも、ナチスに真っ向から反抗し
ドイツのユダヤ系音楽家をパレスチナへ亡命させ
今のイスラエルフィルの前身を立ち上げた男。

そのあと数年は頼まれても自分は裏方に回り
そのオーケストラと演奏はしなかった男。

飛行機事故に巻き込まれ腕を負傷し
再起不能と噂させれるも
不屈の精神で復帰を果たした男。

こういう男がたまたまバイオリンを操る才能を持って
たまたまその才能は莫大なものだった。

そしてその人がラジオ局で弾いた演奏が
たまたま録音されていた。

そう思って聴くとその時代に生まれて
そのラジオを聴ければよかったのに
とさえ思ってしまいます。

フーベルマンについてもっと知りたい人
こちらに沢山資料があります。

http://www.huberman.info/ (英語です)

音源も沢山あります。


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲/ラロ:スペイン交響曲(ヴァイオリン協奏曲 第2番) EMIクラシックス・グレート・アーカイヴ・シリーズ 12


若き日のマイルス・デイビス [weblog]


そうです。ジャズの帝王です。
僕の神様です。

おそらく仏教でもイスラム教でもゾロアスター教でも
キリスト教以外ならば何でも似合ってしまう
マイルス・デイビスです。

と、書いてから思ったけども
カトリックも似合います。

まず見た目が凄いです。
目をぎょろぎょろさせて
明日のジョーの力石みたいです。

自伝でも言ってますが
若い頃は、音楽をしている時以外は

麻薬、酒、女

めちゃくちゃやっていたみたいです。

実際、音楽よりもピンプとして稼いでいたようです。
ピンプという言葉を知らない人は、無視していいです。
とにかく、ろくでなしです。

ジュリアードで勉強するために
ニューヨークへやってきて
チャーリー・パーカーに会ったとたん
居候を決め込まれています。

まあ、これは音楽的にはよかったんでしょうが。

彼から習ったのは

1.ビ・バップ音楽
2.バンドリーダーとしてのテクニック
3.ヘロイン

すごいですねえ。
でも帝王は(と言ってもこの頃はまだ可愛かったのですが)
反抗しました。

ビ・バップこそ、つたないながらも吹いていましたが
「クールの誕生」あたりから

「こんなガチャガチャした音楽やってらっか!」

と言い、独自の音楽をギル・エバンスたちと
始めてしまいました。

バンドリーダーとしては
かなりのことを学んだようですが
とにかくこのパーカーと言う男
金を払わない。

マイルスが請求しようとしても
もうヘロインを買ってしまっている。
頭もグダグダだから
何を言ってるのかわからない。

じゃあ、マイルスもヘロイン打っちゃうか?
って、ここはえらいですねえ。

さすが帝王です。

断ります。










コカインにしといたようです。









どうしようもないですねえ。

そのあと、すぐにヘロインに陥ります。

でもですね。
この後、チャーリー・"バード"・パーカーは
死にます。確か34歳ぐらいです。

もちろん麻薬でです。

とは言っても、この人
どんなにラリってても吹けるんです。
サックスですけども。

どんな調でみんなが始めようとも
吹いちゃうんです。

間違いありません。
この人は麻薬中毒のジャンキーですけども
化け物です。

実は僕が初めて大学でチャーリー・パーカーの音楽の勉強をしてから
彼の忌々しいほど難しい名曲、ドナ・リーを
舞台で弾こうと思うまでになんと
10年もかかりました。

あまりよく弾けませんでした. . . . .

まあ、今日はマイルス帝王の話なんですが
彼もあまり得意じゃなかったんでしょうねえ。

いいじゃないですか。

得意でなければ、学ぶことだけ学んで
他の道へ行けば。

音楽教室なんかでよく
「基本が大切です」
っていいますね。

僕はあえて声を大にして言いますが
そんなもん、どうでもいいです。

世の中で「基本」って言われているものが
たまたま苦手な人だっているんです。

今ジャズではチャーリー・パーカーは
基本中の基本ですけど
それが得意じゃなかったマイルスだって
それから、すんごい事やっちゃうんです。

マイルスはこういっています。

間違えちゃうなんて心配すんな、
そんなもんない。

帝王マイルスはパーカーの死のあと
ヘロインを絶ちました。
すぐにではないですが。

(コカインは結構年取るまでやってました。)

ちなみにパーカーが死んだ時
マイルスは29歳ぐらいだと思います。

いつか、彼のその後の(つまり本領を発揮し始めてからの)
帝王ぶりも書いてみたいと思います。

Do not fear mistakes, there are none.


Kind of Blue


イーゴリ・ストラヴィンスキー [ぱちぱち偉い音楽家のありがたい一言]

私の音楽を本当によくわかってくれるのは

子供と動物だろうねえ。

このストラヴィンスキー先生は
クラシックの作曲の世界では
20世紀を代表する偉い人なわけです。

アストラ・ピアソラがストラヴィンスキーに初めて会ったとき

「私はあなたの通信講座の弟子です。」

と言ったそうです。

もちろんストラヴィンスキーが通信教育をしていたわけではなく
レコードや楽譜を通しての勉強であって
まあ、ピアソラの「勝手に入門弟子」なんですが。

あのチャーリー・パーカーも教えを請いたかったらしいですね。
自分の曲に「火の鳥組曲(fire bird suite)」をもじった
"Yard Bird Suite" ってあるぐらいですしね。

とまあ、いろいろな人に尊敬されている先生なわけですが
自分では「子供と動物」にしか解らんだろうと
こうおっしゃっているんですねえ。

今ここを読んでいる方におそらく「子供や動物」は
いらっしゃらないでしょうから、
ストラヴィンスキー先生は

「君には解らんだろう」

とまあ遠まわしに言っているのかもしれません。









うそです。もちろんそんなことは言ってません。
実はこの言葉をおっしゃった時
ストラヴィンスキー先生はアメリカに住んでおられまして
尊敬ばかりされてあまり売れてはいなかったみたいですねえ。

たぶん、少しお疲れだったんだと思います。
頭ばっかりで俺の曲を聞くな!
人の曲をあまり分析するな!
ちっとは、感動しろ!

といろいろ溜まっていたことがあったんでしょうねえ。

しかしですね、これを読んだ時に僕は思ったんです。

「子供と動物のために演っていきたいなあ」って。

そういえばグレン・グールドも白熊に向かって演ってましたね。
モーツァルトを聴いて育つ牛やら豚やらトマトもいますね。
セロ弾きゴーシュも動物たちとジャムセッションしてますね。

いつか演ってみたいです。
蛙とジャムセッション・ライブは去年したんですけども
なかなかよかったです。

ちなみに、このストラヴィンスキー先生
こんなことも、のたまっています。

音楽ってのは、その本質から言って

何かを表現しようとするには

全く無力だな。

ぱちぱち偉い人は、たまにとんでもないことを
おっしゃります。


ストラヴィンスキー:バレエ〈火の鳥〉全曲


作務衣 [weblog]

エクアドルに住んでいるころ
夏休みでちょっと帰国した時がありまして
成田空港で作務衣を買ったことがあるんですよ。

今も持っていますけど。

あれって陶芸家の方がよく着てますけども
楽器の練習をしたり
コンピューターで打ち込みをしている時に
非常にいいんですよね。

オレは日本人だぞっ
て感じになれるし。

なんだか身がピシッとひきしまって
(まあ最初の何度かですが)
奥深いものが書けたり
深みのある演奏ができるようになるような気がしますけど
だめでしたね。

コスプレじゃないんだから
中身は何も変わらなかった。
あたりまえですが。

最近ずい分と寒くなってきて
なにか代わりになるものを探してるんですけども
いいのないですかねえ。

そもそも作務衣っていうのは
お寺のお坊さんたちが着るもんだから
少々自虐的にできてるんでしょうな。
しかも、東京でああいうものを着ていると
それこそコスプレしているって思われますからねえ。

心が引き締まって(ような気がして)
音楽に深みが出る(ような気がする)
そういう服あったら教えてください。


バイオリンを始める [weblog]


そうです。まず、動詞の使い方がおかしいです。

- バイオリンの練習を始める。
- バイオリンで副業を始める。
- バイオリンを弾いて人気者になるための努力を始める。

普通はこのように言うはずなんですけども、
バイオリンを習い始めるなんていうのは
皆それぞれいろいろな思惑があるんでしょう。

よく雑誌などのインタビューで聞かれるんですよね
「どうしてバイオリンを始めてのか」って。
そんなもん、たいした理由がある人なんて
少ないと思いますよ。

僕の場合といえば、

「近所の友達も行っているから」

という母だか父だかの一声で始まったんです。
というよりも、だそうです。

まあ、5歳だから仕方ありませんけども。



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これからバイオリンを始めようっていう人に
(あるいは、保護者の方たちに)

「バイオリンは何歳ぐらいから始めるのがいいんですか?」

ってよく聞かれるんですけどね、
断言しますけどもそんなもん別に何歳でもいいです。
3さいでも、10才でも、30歳でも、なんでもいいです。

「美味しいチャーハンを作るには
何歳から鍋を振るわなければいけないか?」

大体それと同じです。



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今、バイオリンを始めようと思っている方、
おそらくそれ関係のサイトをいくつか見たでしょう。

僕も見ました。
気にしないほうがいいです。

絶対音感?いりません。
僕は持っていますが、別に役に立っていません。

ビブラート?無視していいです。
かけたくなったら、かかります。

正しい構え方?そんなのないです。
ロシア流?フランコ・ベルギー流?

日本派・自分流でだいじょうぶです。

がんばってください。


音楽家っていう職業 [weblog]

仕事柄、ホテルに泊まることが多かったんです。

するとたいてい宿泊者名簿というのがあって、
そこに職業っていう項目があるんですね。

職業っていうぐらいだから、

「あなたは何のプロですか?」
「あなたは何をして生計を立てているのですか?」

と、まあこう聞かれているわけですね。
なぜホテルがこのようなことを知ろうとしているかは知りませんが、
答えないと、泊めてくれないようなんです。

でも、困るんですよね。

「プロ中のプロ」と自覚をしている作曲家や演奏家はいいですよ。

- コンサートアーティスト
- ミュージシャン
- アイドル
- 芸術家

とまあ、いろいろ書けますから。

僕がなぜ困るかっていうと、まあ才能や能力の問題もあるんですが、
自分があの業界の常識に共感してないからなんですね。

ミュージックビジネスの中のエリートであられる方々は、
ギャラを方程式ではじき出せるようです。

ギャラ = 時間 x (才能 - 能力の出し惜しみ) - 自分の露出度

これはまあ、商売ですからわかるんですけどねえ。

なんかどうもピンとこないので何時もこういう方々の「プロ論」は
アインシュタインの「相対性理論」のように

「わからないなー」

と、思いながらも否定はせず拝聴しております。




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「ビジネスマン」という言葉もそうですね。
今、辞書で引いたらこう書いてありました。

1 事業を営む人。実業家。

2 会社員。特に、事務系の仕事をする人。

不思議ですね。実は僕は少し違うイメージがありました。
そうなんですか、営業の人は違うんですか. . . .

ちなみに「音楽家」は

音楽を専門とする人。作曲家・指揮者・声楽家・器楽奏者など。

だそうです。ふーんですね。
まあ、僕もこの「など」の中に入ってるんでしょうかねえ。

興味がある人は、ミュージシャン、物書き、作家、芸術家
などでも引いてみてください。

年をとったらぜひ宿泊帳に書いてみたいのはこれです。

  ぶんか‐じん【文化人】

  文化的教養を身につけている人。
  特に、学問や芸術に関係する職業の人。

「関係する」っていうのがいいですね。
無理ですかねえ。


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